「状態を保つ」という楽しさの話、あるいは「ピクミン3」の持つ面白さの本質
さいきん「スーパーマリオ3Dワールド」にハマっている。
どれをとっても素晴らしい出来である。
そしてある日、遊びながら「この作品はパワーアップ状態を維持し続ける事がゲーム性になっているのでは?」と感じるようになった。また、この「保ち続ける面白さ」は今まで遊んだ「楽しい」と感じた作品で特にゲーム性として機能してるケースが多いのではないかという事に気付き始めた。
今回はこの「状態を保つ」ゲーム性について自分なりに考えを纏めて記事にしてみた。
目次
「状態を保つ」ゲーム性とは
状態を保つゲーム性とは何だろう?
人間とは現状を維持し続ける事を好むという習性を持っている。また物理法則に於いても「止まっているものは止まり続ける、動いているものは動き続ける」というルールが存在する。
そしてゲームにおいても「状態を維持し続ける」というゲーム性が存在すると私は考えている。
例えば死なないでいる、これは基本的な保つゲーム性といえるだろう。
あとはコンボを維持する、攻撃を繋ぎ続ける、強い状態を保つ、敵を倒し続ける、順位を維持する、増える量を増やし続ける、走り続ける、飛び続ける、塗り続ける、優勢を保ち続ける、黒字を維持するといった部分も「保ち続けるゲームシステム」として楽しさを提供しているのだ。
「保つ」ゲームの例
「保ち続ける」ゲーム性とは具体的にどのようなものが該当するだろうか?
ここで個人的に特に「保つゲーム性」が一部なり全体なりで効果的に実装されていると感じたゲームタイトルを、箇条書きではあるが幾つか挙げてみた。
・駄菓子屋などにおいてあった新幹線ゲームなどのコインゲームは「穴に落とさないで高く上り続ける」事が全体の目的になっている。
・Portalシリーズは燈色と青色の穴のどちらかを長時間置いたままに先に進むという「自身の記憶の保持」がゲーム性になっている面がある。
・Forza Horizon 2はスキルチェーンという「様々なドライビングテクニックを実施し続ける」システムで長距離運転にスパイスを加えている。
・HALOシリーズは武器を持てる種類を二種類に制限し「特定の武器を持ち続ける」という戦略性につなげてる。
・ダライアスバーストは、先にあげたグラディウスシリーズのゲーム性に加え「バーストを敵に当て続ける」ことでバーストゲージが増え続け攻撃がその分長持ちするというシステムを付加している。これも一つの状態を保ち続けるゲーム性である。
・アクションゲームや格闘ゲームにおける空中コンボ攻撃も「空中に居続ける」というゲーム性と呼ぶことができる。
・サンセットオーバードライブは移動する際の動作周りに対して、コンボを用意することで長距離を「移動し続ける」楽しさを実現している。
・ベヨネッタに「ダッチオフセット」というボタンを長押ししている間攻撃コンボが保持されるというシステムが存在するがこちらも、敵の攻撃を避けながら自身の攻撃の流れを保ち続けるという楽しさが生まれているのだ。
・またベヨネッタはお題モードであるムスペルヘイムやアルフヘイムにて「空中に滞在し続ける」「ノーダメージで居続ける」「ウィッチタイム状態を長く確保する」ことが目的となっているルールが多く実装されている。
・スプラトゥーンも「倒されずにいる」ことが「塗り続ける事」が出来て、結果「優勢を保ち続け」ることが可能となる
このようにゲーム全体の流れとして、もしくはシステムの一部にこの「保ち続ける」ゲーム性が組み込まれていると全体のゲームプレイが引き締まるのだ。
また、RPGでボス戦前に投げ出してしまう人の理由のひとつに、「エリクサーなどのアイテムを使わないまま終盤まで進めること」が無意識に目的として切り替わってしまっている人も居るのではないか?と自分は推察している。
だからラスボス戦前に自分の中でのその作品に対する目標が達成されてしまい、その場で満足してしまうかそこまで積み重ねた成果をみすみす潰したくないと考えてしまうのではないだろうか?と考えている。
そして、縛りプレイ自体も「特定の何かを制限し続ける」という状態を保っているという楽しさを、遊び手自身が設定していると考えることが出来ると思っている。
ヌルゲーが楽しくない原因、或いはクッキークリッカーに飽きてしまう理由
ところで易しいゲームとはまた別ベクトルの所謂「ヌルゲー」が楽しくない、もしくは飽きやすくなる傾向が強くなる理由についても考えてみる。
失うものが何もない、という「保持する要素」の欠如
試しに手元にあるゲームのなかで、無敵モードやMODやチートを適用することができるゲームで、プレイヤー周りのステータスを限界まで強化してみてほしい。瞬間的には楽しいだろうが直ぐに楽しさに限界を感じるようになるだろう、そしてその状態で遊び続ける事はむしろ苦痛となるケースが殆どであると思う。(もちろん例外もあるだろうが、それは何かしら別の「保ち続ける楽しさ」が生まれてる可能性がある)
例えば無敵、それに近い頑丈な自機、無尽蔵の弾薬やアイテム、回復手段など、保持すべき部分が少ないと「失うものが何もない」という精神的に雑なゲーム体験に繋がってしまうと私は考えている。
「保ってる時」のインセンティブが少ない
もし仮に状態を保つギミックが存在しても、保ち続ける状態の「ご褒美」が少ないとヌルい作品、もしくは歯ごたえのない作品になりがちであると私は考えている。
死ぬ要素がまったく存在しないクッキークリッカーも、「クッキーの産出量を増やし続ける」という部分が「加速度の保持」という楽しさとして機能していると自分は考えている。ゆえにクッキークリッカーは或る程度進めて加速度が目に見えなくなった時、産出量を増やし続けてるのに目に見えて増加量が上がっているのがわからなくなる時「保ち続けるご褒美」が麻痺してしまう。
つまり「楽しさという貨幣価値」が暴落するのだ。
「保つゲーム性」の集大成、ピクミン3
「状態を保つゲーム性」を強く感じることができるゲームは何だろうか?
自分が遊んだ中で、この「保つゲーム性」がゲーム全体に満遍なく組み込まれている作品は何かを考えたとき、「ピクミン3」がいちばんそれに近く該当すると感じた。
GCで1と2、Wiiでリモコン操作対応版が発売され、そしてWiiUにて発売された本作「ピクミン3」とは、ピクミンと呼ばれるアリのような不思議可愛い生物に様々な指示を与え、果物を回収し、敵を楽し、様々なアイテムを回収し、ストーリやお題を進めるアクションRTS最新作である。
ではピクミンにおける「保つゲーム性」とは何だろうか?
ピクミンを「生かし続ける」こと?
ピクミンに「花を咲かせ続ける」こと?
常に食料を「保ち続ける」こと?
効率的に主人公が「動き続ける」こと?
つまり、目の前で次々と発生するアクシデントや目的を対処する上で、ピクミンの稼働状態をどんな手を使ってでも維持し続ける事が望ましいように出来上がっているのだ。
例えば指示を受けてない働いてない状態のピクミンはその場で寛いだり遊んだり、主人公たちについていく、遊び続けるとただこう言った状態が続くとモヤっとし何かしら仕事を与えたくなるように感じ始める。
そして与える作業の割り振りを脳内で巡らせ、それらを効率よく実行するために動き回るのだ。そして出現する原生生物に対してうまくいなしピクミンを見殺しにしないように立ち回らせ、また作業を割り振らせる。
ピクミン3において「効率化」はあくまで手段、その目的は「稼働状態を維持する」事、そして突き詰めていくと「短時間かつ小犠牲」というプレイスタイルにまで発展するのだ。
終わりに
というわけで今回は「保持する楽しさ」について色々と考えてみたが「状態を保つ」ゲーム性は予想以上に様々な作品で実感することができていたのだと、今回の記事作成に当たって実感した。
また、昨今のゲームでは「ナラティブ/ナラトロジー(物語性)」という概念が着目される傾向が強いが、今回挙げたような「ルドロジー(ゲーム性)」的アプローチもまた依然重要であり、両者がそろって初めて「楽しいゲーム」が生まれるのではないかと感じた。
みなさんもこれからゲームを遊ぶ際、「保持する要素」を探したり分析しながら遊んでみると少しゲームへの見方が変化するかもしれない。してくれると嬉しいなぁ
今回のまとめ
・状態を保持するというのはゲーム性になっている・ヌルゲーは「保持する」部分の調整が上手くいってない・「状態を保持する」ことが楽しさになっている作品はたくさん存在する・ピクミンとは「稼働状態を維持する」ゲームである・「保持する部分」に着目しながら遊んでみてほしい