あそびにおける「義務感」という存在、或いは「ゲームのやめどき」についてのお話
短いです。
要するに「趣味において義務感に駆られながら惰性で物事を続けると感じたなら、一旦離れてみてもいいんじゃないか」って話です。
折角なので「遊びに対しての一つの考え方」として気に留めてくれたら嬉しいと思い記事を書くことにしました。
文化の芋がゆ状態
自分にとって大切にしていたものが、あまりに容易に、大量に手に入る状況になり、しかも、多少の義務感も生じてくると、好きどころか、そこから逃げ出したくなるという、ひとの微妙な心理~(中略)~ひとは、ふんだんに与えられるものや、あたりまえに享受できるものに対して、なかなかありがたみを持てなくなってしまう。(佐藤雅彦「毎月新聞 文庫版」P.82~83より引用)
つまりいくら自分にとって楽しいと感じていた事でも、その量が多いと「義務感」として「苦痛に感じてしまう」という話です。
そしてこの芋粥状態、ゲームの止め時を見極めるのに最適であるのではないかと自分は考えています。
普段遊んでる作品に対して漠然とした辛さを感じたらまず離れろ
例えば普段ゲームを遊んでいて、媒体はスマホ、据え置き、携帯機なんでもいいがハマっていたとします。
でもある時期を境に楽しさよりもつらさが上回ってしまう時期がある。
それのつらさは例えば、戦績が上がらなくなったという倦怠感、お目当てのカードが手に入らないという焦燥感、「毎日同じようなことをしているなぁ」と思う惰性感、ちょっとしたシステムの不備やチームメイトのミスに悪態をつくようになった重箱の隅突きなど、様々な形で発露します。
これらはゲームの持つ「楽しさ」と言う魔力が解けてしまっている状態なのです。
こうなってしまうと、堪忍袋の緒が切れたのち「好き」が反転して一気に「嫌い」という感情に覆いつくされるか、コンコルド錯誤一歩手前そのままそのゲームに遊ばれてしまい時間やお金を無制限に溶かしてしまう、などの危険が存在します。
辛いのに続けてしまう、やりたくもないイベントを「とりこぼしたくない」という理由で準備し苦行を続けてしまう。
その結果精神的に憔悴し何がしたかったのかと自分を見失ってしまう危険性があるのです。
義務を感じずに長く続けるには
こういったリスクを避けるためには、義務感以上の面白さを見出し続けるべき、程よく距離を保った状態で接し続ける、つらいと感じたらいったんスパッと離れるか別の作品に目を向けてみる、などがあります。
いくら美味しいものでも同じ味を何度も何度も何度も何度も食べているとその刺激に対して無反応になってしまいます。
「これがやりたい」という明確な目標なしに「なんとなく続けなきゃいけない気がする」と感じているのであれば、アイテム集めも実績解除もデイリーボーナスもイベント海域もなにもかも、つらいと感じたらやめてみることも選択肢の一つに入れてみてください。
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「今やっていることに対して義務感を感じてないか」を常に心の隅に留めておくが、ゲームを楽しい状態に保つ安全装置として機能してくれるって事を覚えておいてください。
「面白かった」という記憶が、「辛かった」という感覚に上書きされるその前に。